半蔵×兼続

前編








※本作品において、半蔵の一人称は「拙者」ではなく「俺」です。
※本作品には、男性向け18禁並のハードな性描写、女体化表現があります。ご注意下さい。










野に咲く花の間に蝶々が舞っている。桜の花が散った後は、菜の花や小さなコケリンドウ、赤いユキツバキなどの花が野や川辺を彩る。冬の名残はようやく過ぎ去り、久方ぶりに陽射しが暖かい春の午後、野山の道を沈んだ面持ちで行く人がいる。競うように咲き誇る花達の姿も、彼の心には響かないようだ。

その人の名は、直江兼続という。この国の主、上杉景勝に仕える家老だ。多忙なはずの兼続が、まだ日の高いうちに屋敷を抜け出し向かうのは、街道を外れた先にある寂しい山奥の頂にある、無人の山小屋だ。そこで人と会う約束をしている…誰にも内緒で。

これからする事は政務ではない。兼続の私事だ。相手を呼び出したのは兼続だが、約束の場所に向かう足取りは遅い。兼続は、これから会う人物と、ある秘密を共有している。それが兼続の心に重くのし掛かる。会うべきではないとためらう思いと、ここで引き返しても二人の秘密を無かったことにはできないという思いが、兼続の心の中で荒れ狂う。幾度か立ち止まり山を降りようとしたが、結局思い直し、約束の場所に着いてしまった。

山の頂から北国の美しい春景色を眺めようともせず、兼続は山小屋に入り、戸につっかい棒をした。明るい外から薄暗い部屋の闇に逃げ込みたかった。疲れた身体を床に投げ出す。横になって少し眠ろうとした兼続だが、ふと、気がつくとすぐ側に人が立ち、横たわる兼続を見下ろしている。兼続は驚きはしなかった。ちらりと小屋の入り口に視線を走らせる。戸に仕掛けたつっかい棒はそのままだ。相手に先に小屋に着いていたのか尋ねようとして、止めた。どうせ答えはすまい。仕方なく身を起こす。

二人はしばらくの間、無言で見つめあっていた。兼続は相手に言いたい事がある。だが、どうにも口が重い。

「…何の用だ」

兼続は少し驚いた。相手が先に口をきくとは思わなかった。会話が始まってしまった。後戻りはできない。兼続は思いきって話を切り出した。

「お前に頼みがあって呼んだのだ」

「……」

緊張で兼続の声が震える。

「私を……抱いて、くれ。この間のように」

「!……忘れろ」

男は背を向けた。冷たい拒絶に、兼続の胸がズキリと痛む。だが、勇気を振り絞り、去って行く背にすがりつく。

「待て、行かないでくれ!行かないで…半蔵…」

最後は涙声になった。男の足が止まる。兼続を振りほどきもせず、何かに耐えるようにしばし立ち尽くす。やがて、男は意を決したように振り向き、兼続を強く抱きしめてきた。男の身体の暖かさに兼続の心は溶けていく。兼続の頬に歓喜と安堵の涙が流れた。

先日、誰にも知られたくない秘密を二人は明かし合い、情を交わしたのだ。


半月ほど前、桜も蕾の頃に、まだ冬の寒さが残る夜の山道を兼続は愛馬をとばして一人の忍を追っていた。忍の名は服部半蔵。大名、徳川家康に仕えている。秀吉の覚えもめでたい上杉を探ろうというのか。領内に無断で入り込んだ以上、容赦はしない。必ず捕らえてやろうと、兼続は逃げる半蔵に馬上から剣を降り下ろす。だが、半蔵は紙一重で剣をかわす。二撃、三撃、兼続は立て続けに剣を振るった。とらえた!思った瞬間、兼続が両断したのは太い木の枝だった。予期せぬ衝撃が兼続の腕に走る。上半身が空を浮くような危うさを感じ、馬上からずり落ちそうになる。

「く…っ…!」

避け損ねた木の枝に兼続は頭から突っ込んだ。幸い、細い枯れ木ばかりだったので、頬や腕に枝で引っ掻き傷をつくる程度ですみ、兼続はなんとか落馬を逃れた。その隙に、半蔵は兼続との間合いをさらに空けた。半蔵の移し身の術にはめられたのだ。馬首にしがみつきながら兼続は胆を冷やした。身をひるがえす忍の黒い影がまるでしなやかな獣のように見える。剣がだめならば…今度は兼続の霊力を込めた呪符が意思を持ったカマイタチとなって半蔵に襲いかかる。馬上の兼続を守るように呪符は旋回し、半蔵の忍装束を切り裂いた。血飛沫があがる。しかし、男は低いうめき声をもらしただけで、構わず走り続ける。

「おのれっ!」

兼続は焦った。徒歩で走る半蔵に馬の兼続が追いつけない。後ろに張り付くのがやっとだ。山道を飛ぶように駆け抜ける、恐るべき忍の脚力だ。なんとか半蔵の足を止めなければ、いずれ逃げられてしまう。兼続は最後の手段に出る事にした。

「いくぞ!!」

精神を集中し、人馬一体、無敵の刃と化した兼続と馬は、半蔵に体当たりを仕掛けた。兼続の霊力をまとった愛馬は限界を越えた力を発揮し、ついに忍の男に追いつく。

「……!!」

強烈な体当たりに、はね飛ばされた半蔵は、わずかに息を乱しただけで、声を上げずに体勢を崩し、山道を転がり落ちていった。

「あっ!?ま、待て!」

兼続は慌てて落ちていく半蔵を捕まえようとしたが、斜面に生える木々をへし折りながら転がる男の姿は暗闇に消えた。



翌日、兼続は再び山を訪れていた。半蔵が落ちていった場所は見当がついていたが、夜の山で深追いはできなかったのだ。まんまと逃げられたかもしれないが、確認はしておきたかった。昨夜、死に物狂いで馬を走らせていた時の山は兼続の命も奪いかねない危険に満ちていたが、明るい陽の下で見る山は、春の気配があちこちに見えて、のどかなものだ。土の中から新芽が僅かに顔を覗かせ、小鳥がさえずっている。忍を追っている事も忘れ、うららかな陽射しの中に兼続はしばし浸った。

半蔵が転がり落ちた形跡を追いながら山の中腹まで降りた所で、兼続は古いほこらを見つけた。そんな物がこの山にあると兼続は知らなかった。忍ならば、こんなあからさまな場所で休みはすまい、だが、強くひかれるものがある…兼続は、中に入ってみる事にした。

― 霊気に満ちている… ―

ほこらの中に一歩足を踏み入れた兼続は驚いた。いる、この場所には確かに神…山の精が宿っていると兼続は思った。

― 私は呼ばれたのかも知れぬな ―

兼続に恐れはない。 兼続は幼い頃より、他の人には見えぬものが見えた。地に獣が、空には鳥が羽ばたいているように、兼続にとって神や物の怪は居て当たり前の存在だった。だが、幼い兼続が見たままを話すと、兼続を弟のように可愛がってくれる主が青くなって怖がるので、次第に兼続は「見えないふり」をする事を覚えた。自分だけが人と違うのだと寂しさを覚えたが、主の養父、兼続の師でもある上杉謙信に導かれ、兼続は自分の神通力を御する事を学んだ。人には見えぬものが見える事、手を使わず念じるだけで様々な事を成せる、そんな自分の力を兼続は次第に受け入れていった。だから、兼続は闇など怖くない。ただ、様子が見えづらくて厄介だと思うだけだ。ほこらに足を踏み入れる。中はたいして広くもなく、昼間のおかげでなんとか足元も見えた。
「おや…?」

奥に誰か倒れているようだ。ほこらの奥には簡素な祭壇があり、左右にロウソクと火打ち石が置いてあったので、兼続はロウソクに火を灯した。明かりが灯された事で、ほこらの隅に倒れている兼続の探し人の姿もはっきり見えた。

「ここにいたのか…」

半蔵は人の気配を感じ、意識を取り戻した。瞬時に昨夜の記憶がよみがえる。失態だった。上杉の家老にしつこく追われ、あげく奴の馬にはね飛ばされ山道を転がり落ちた。なんとか命は助かったが、山を脱出する体力は残っていなかった。ふらふらと霞む頭で半ば無意識にこのほこらに入り込み、今まで気絶していたようだ。横たわる半蔵から見えぬ位置で、カチカチと火打ち石を使う音がする。ほどなく、ほこらの中は明るくなった。ここまで接近を許すとは。半蔵は後ろの人物に目が覚めている事を悟られぬようにしながら、脱出の機会をうかがった。


もっと明るくなるように兼続がロウソクの位置を直そうと手をのばした、ほんの一瞬の間に、倒れていた忍の姿が消えた。物音一つしなかった。てっきり気を失っていると思ったのに。驚きに言葉を失った兼続だが、辺りに目を走らせた後、ため息をついた。

― 逃げられた… ―

昨夜といい、今日といい、完全に追い詰めたはずの網の目をくぐり抜けて逃れる様は、もはや天晴れとしかいいようがない。半蔵のしぶとさに感心した兼続は、捕縛をあきらめ、山を降りる事にした。

ほこらに宿る神に挨拶の祈りを捧げようとした時、兼続の喉元に鎖鎌の刃が突き付けられた。逃げたはずの半蔵が兼続の真後ろに立っていた。

「おや、服部殿。てっきり尻尾を巻いて逃げ出されたと思ったが。ここに忘れ物でもされたか?」

「戯れ言無用…ここから出せ」

「何?」

散々追い回した自分に意趣返しでもする気なのかと思いきや、半蔵の要求に兼続は首をかしげた。

「このほこらはただの穴ぐらだ。扉などなかっただろう。それとも明るい陽の光を浴びると目がつぶれるとでもいうのか?」

「………」

半蔵は無言で鎖鎌を兼続の首に押し付けた。首の皮が薄く切れ、血の珠がにじみ出る。

「待て、私は何もしておらぬぞ!?」

「ならば何故出られぬ」

「………本当に出られぬのか?」

「最初からそう言っている」

ひりつく首の傷に顔をしかめる兼続に、半蔵はそっけない。

「わかった、とりあえずほこらの入り口に行こう」

「その前に…得物をよこせ」

兼続の宝剣と懐の呪符は半蔵に取り上げられてしまった。剣はともかく、呪符は兼続が念じれば離れていても手元に戻ってくる。無論、半蔵には内緒だ。

丸腰の兼続の後ろに半蔵が続き、ほこらの入り口に着いた。薄暗いほこらの外は真昼だ。その陽光の下に兼続は一歩踏み出した……はずだった。兼続は、相変わらず日陰の中にいた。足は前に進むのに景色が変わらない。日向と日陰が透明な壁にさえぎられて、別の世界に切り離されてしまったかのようだ。

「…………祭壇に戻ろう」

戻ってどうする、と半蔵が目で尋ねている。

「我々を閉じ込めたのは、ここのほこらに宿る山の神、精霊だろう。祈りを捧げて、話をしてみる」

「そんな事が…」

「できるさ。言葉を持たぬ相手であっても、気持ちを知る事はできる。怒らせるような事はしていないつもりだが、神々にも気分と言うものがあるからな」

兼続はいとも気安く神を語る。半蔵には想像もつかない。罰が当たったらどうするのか。

「……もし、神の怒りを買っていたら、どうする」

「まあ、謝るしかないな。大丈夫だろう。話せばわかっていただける事の方が多い」

「……そうか」

兼続はまるで日常茶飯事のように言う。普通の人間は、まず神と対話する事などできない。だが、この男ならできるのかもしれない。兼続の神通力に散々な目にあわされた半蔵だからこそ納得できた。

兼続は祭壇の前に座り、手を合わせる。

「私はこれから祈りに入るが、そなたは楽にしていてよい。いつまでかかるかわからぬし、昨夜の傷もまだ痛むだろう?」

自分が手傷を負わせた張本人である事も忘れたように、兼続は半蔵の身体を気遣う。全くふてぶてしい男だが、何故か憎めない。本当に忘れたのではなく、承知の上で万が一に備えて休息を取れと言っているのだ。今は緊急事態と割り切って敵と協力できる聡明さは半蔵も嫌いではない。

半蔵の返事がない事など気にした風もなく、兼続は祈りに入る。目を閉じ一心に祈る横顔が美しい。兼続の横顔を見つめながら、半蔵も目を閉じ、しばし休息をとる事にした。














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