愛の言霊











 迦陵頻伽の啼く声が朗々と響き、吹き抜ける風は新緑の匂いを運ぶ。
 目覚めた場所は山水画の中のような世界、視線の先には愛する人。

 夢を見ていたのか…覚醒する三成の脳裏に崩壊してゆく楽園の記憶が蘇る。
 いや、あれは夢などではない、三成ははっきりと聞いたのだ、生者の声を。
 そして、その声が三成の記憶の封印を解き放ったのだ。
 だが、己は、そして兼続は再びここにこうして居る。

 兼続は現に戻る事を拒んでいる。

 生きる事よりも己と共に在る事を選びたがる兼続の強い思いが嬉しいと思うと同時に、三成の中で固められつつある決意がその健気さを悲しくも思う。

 この仮初めの夢を、己が終わらせねばならぬという決意が。


 身を起こそうとする三成に気づき兼続は笛を吹く手を止める。
「起きたか」
 そう問いかける声はどこまでも穏やかで、まるで何事もなかったかのように優しい。

 嬉しそうに隣に腰を下ろす兼続の方に向きなおり、脳髄に焼き付けるように、その瞳を、鼻梁を、唇を見つめ、頬をゆっくりと撫でる。
 そしてきつく抱きしめると、兼続が少し照れたように身を捩り、どうしたのだと問うてくる。

「兼続、俺はもう逝かねばならぬ」

 静かに耳元で囁くと、兼続はどこへ行くのだ、と無邪気に問い返してくる。
 抱き寄せていた肩を離して兼続の瞳を見据えると、三成はもう一度口を開く

「お前も…生かねばならぬ」

 三成の言わんとする事の意味を察したのか、兼続は突如ひどく曇った表情になる。

「三成、何故そのような事を。こうして二人きりでいればそれで良いではないか」
 兼続はそう言って三成の手にそっと己の手を重ねる。

 ―――お前がいて、私がいる、ならばそれでよいではないか

 あの時と同じ、兼続が言霊を吐く。三成の脳はその甘美な響きに侵されそうになる。
 苦い記憶を封じ込め二人のだけの美しき世界で満たしていこうとする。

ああ、離れ難い――、

 このままで、いられる事ができたらどれだけ幸せであろうか、

しかし…

 このままでいるという事、それの意味する所は、僅かに残された現と兼続を繋ぐ細い道を断ち切ってしまうという事。

 生とは真奇怪なもので、怒り、苦しみ、裏切り、憤り、憎しみ、飢え、渇き、闘う、それでも、どんなに美しい極楽浄土よりも心引き付け止まぬものがある。どんなに穢れていようとも、そこには生きているという事実だけで輝きが放たれる。
 我が身が朽ちていればこそ、三成はなお更それを強く感じる。

 だから、たとえそれが二人の別離を意味しようとも願わずにはいられない、兼続に

 生きて欲しい、と。


「兼続」

 兼続の頬に一筋の涙が伝っている。
 陽光に照らされて光るそれを三成はそっと掬いあげると、笑んでみせる。
 こうして再び巡り逢えたのは、残酷な別離に涙を流す為ではない。
 己が魂を懸けて兼続が三成の魂に寄り添おうと言霊を吐いたように、三成は悲しみの淵から兼続の魂を救い上げる為の言霊を綴る。
 世を隔てても、お前を思う事を誓うと、だから今は死に急ぐなと思いを込める。

そしてたった、一言だけ。

共に笑い合い、唇を重ね、体を重ね、思いを重ねてもまだ一度も口にのぼせていなかったその一言を。




『愛している』


















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