愛の言霊








  

PimpJuiceのあじゃさんの小説「秋風」があまりにも読んでて切なかったので勝手に妄想した作品です。
※注意※暗い話ではないと思いますが、死ネタがあります。

『愛の言霊』


 


 花の香を運ぶ穏やかな風が鼻孔をくすぐり三成は薄っすらと目を開いた。
 見上げた景色は一面満開の桜、薄い色の花びらが空を染め上げている。
 いつの間にこんな所で眠りに落ちてしまったのだろう、そう思い首をめぐらせると隣には見慣れた知己の顔。
 こちらはまだ夢の世界を漂っているのだろうか。あまりにも穏やかな寝顔に起こしてしまうのは忍びない、そう思いつつも白くふっくらとした頬に触れたいという思いを禁じえなくなり三成はゆっくりと、その頬にかかった漆黒の絹糸の様な髪を滑らせた。
 口からは自然と、慈しむように、その人の名が零れ落ちる

兼続―――、

 兼続の長い睫に縁取られた瞼がひくりと動いた。
 あんなにも穏やかな顔をして眠っていたのにと、触れてしまった事を少し後悔した三成だったが、薄っすらと開かれた兼続の瞳は、その視界に最初にとらえたものが三成の姿であったのが何よりも嬉しいというように微笑んだ。
 そして、こちらもまた三成の名を優しく呼んだ。

「二人揃ってこんな所で昼寝など、俺達もよい身分だな」
「あぁ、そうだ、よい身分だ」
 お互いに顔を見合わせてくすりと笑う。

「おや」
 そう言って頭上を見上げる兼続につられて三成も顔をあげる
「花が散りはじめてしまったようだな」
 全部散ってしまう前に帰ろう、でないと帰り道に愛でるものが無くなってつまらなくなってしまう、そう言って微笑む兼続に、いくらなんでもそんなに気を急いて散る桜もあるまいと三成は苦笑する。
 二人連れ立って脇に小川の流れる桜並木を家路についた。
 他愛もない話をしながらしばらく歩いていると、二人の視界の遥か先に小さな草庵が見えた。草庵を見とめた兼続はもう一度頭上を仰いだ。
「どうやら、桜を見ながら家までという訳にはいかなかったようだな」
 そこには先まで咲き誇っていた桜の花が消え枝々からは萌黄色の若葉が広がりはじめていた。不思議に思った三成が今来た道を振り返ると、もうそこには桜色の世界はなく並木道は夏の始まりのような黄緑色に染まっていた。
 不思議な事もあるものだ、と首をひねるが、兼続が別な話を始めた事によりその思考は打ち切られた。

 草庵に着く頃には日が傾きはじめていた。
 庵の手前にある門扉をくぐると、中には小さいが手入れのいきとどいた瀟洒な庭園がある
「今日は夕餉の支度は私がしよう、三成は休んでいるといい」
 そう言われ、ああと頷くと三成は庭園に目を向けた、先は満開の桜や初夏のような若葉を見たかと思えば、この庭にはもみじが色づいている。
 紅、猩々緋、臙脂、朱、数種の赤は夕焼けに照らされて燃えるような発色をしている。なんとも美しい光景である。
 それにしても、不思議な所だ。それは御伽の国か、はたまた古代唐の国に伝わった夢幻郷を思わせる。世界を彩るのは美しきもの達だけ。
 ふと、己は一体いつからこんな所にいるのだろうか、と考えを巡らせてみる。しかし、兼続に聞けば何を寝ぼけた事を言っているのだと笑われそうな気がする。
 とりとめもなくそんな事を考えているといつの間にやら山の稜線に陽が隠れ辺りは紅から藍へと色を変えようとしていた。
「三成、夕餉の支度ができたぞ、こちらへ」
 そう言って縁側に座る三成を兼続が手招いた。
 夕餉の時にはまた他愛もない話に花をさかせる、博識な兼続はいつ何時でも話題に尽きる事がない。
三成も飽くことなくそれを聞き相槌をうつのが常であった。

 と、そこへ一陣の風が吹き蜀台の炎をさらっていった。
 このままでは何も見えぬと、火を取りに行く為に立ち上がろうとした三成の着物の袖を兼続がそっと引いた。何かと兼続の方を振り返ると兼続がそっと手探りで三成の顔に手をそえて、見てみろ、と囁く。
 視線の先には、一匹の蛍が。どうやら迷い込んできてしまったようだ。
 静かに明滅を繰り返す蛍に二人はしばし見とれる。
「美しいな」
「ああ、しかし夕餉の明かりには少し心もとない」
「三成はまだ食べ終えておらぬか」
「いや、もぅ…」
「ならば、もぅ少しこの光を見ていたい。いや、部屋の中にこうしておいては蛍が可哀相だな、外に出してやろう」
 兼続はそう言って手を伸ばすとそっと蛍を手の中に包み込み、暗い部屋の中をゆっくりと縁側へ進んだ。
 外は盈月に照らされて部屋の中よりも幾分か明るい、目が慣れた兼続は庭では蛍の仲間がいないから近くの沢に行こうと言い、三成の返事も待たずにすたすたと歩きだした。
 膳も下げずに子供のようにはしゃぐ兼続を珍しいな、などと思いながらも三成は後に続く。
 月明かりに照らし出された夜道には鈴虫の音が響く、しばらく行くとそれにまじって水流の音が聞こえだした。茂る灌木の隙間を通り抜けるとそこには蛍のすだく小さな滝のある沢があらわれた。
 兼続はそこでそっと手をひろげ蛍を逃がすとまた三成の方を見て美しいな、と嬉しそうに言う。
 頷きながらも三成の頭は釈然としなかった。桜、紅葉、蛍、四季とはこのような形で移ろいゆくものであっただろうか。心の中で何かが澱む。
 笑われてしまうかもしれない、しかし三成は先から頭に浮かんでは消える疑問を兼続に尋ねてみた。
「俺はいつから、ここにこうしてお前といるのだろう」
 何かが判然としない、自分はどうかしているのだろうか、と。
 おかしな事を言うと一笑される覚悟であった。
 だが、予想に反して兼続は黙りこんでしまった。明かりは樹木の隙間から零れおちる盈月のみ、兼続の表情をはっきりと見る事ができない。いつもどんな問いに対してでも明瞭な答えをすぐに出してくれる兼続がこうして黙りこんでしまうなど、どうしたのだろうと訝しみその表情をよく見ようと顔を近づけようとすると、兼続の方から顔を寄せてきた、そして三成の瞳をじっと見つめ

――どうでもよいではないか、そのような事

その声音はどこまでも優しい。
 兼続らしくないその答え、しかしそれはまるで呪のように、三成の脳髄に溶け込んでゆく

――こうしてお前がいて、私がいる。ならば、そのような事どうでもよいではないか

 それは三成の問いを意識の奥底に封じ込める言霊の様。
 にこりと微笑む兼続の顔を見ていると、なるほど、自分は愚かな問いをしたと思えてくる。

 そうして月だけが見守る中を二人また庵に戻る道を歩いてゆく。
 いつの間にやら三成の頭の中からは先の疑問など綺麗さっぱり消え去っていた。


 庵にもどり寝支度をしていると兼続がこれをと三成の懐に温石を忍ばせてきた。
 夜は冷えるゆえというその視線の先にはもぅ細やかな雪が降り始めていた。
 今しがたまで三成に渡す為に温石をにぎりしめていた兼続の手をとり引き寄せると冷たい風が入りこまぬように木戸を閉めた。
「温かいな」
 引き寄せた兼続の手の温もりを愛しむようにすこし力を入れて握り締める。

――温かい、愛おしい。

 今までこんなにも素直にこの人に愛しいという気持ちを伝えたいと思った事があっただろうか。そんな事を思いながら指先から視線をあげるとその美しい貌から目が離せなくなる。
 いつもなら真っ直ぐに見つめるのは兼続の方なのに、立場が逆になると途端に兼続は所在無さげにその視線を宙にさまよわせてどうしたものかとうろたえるような仕草をする、何とか間を持たせようとつむぎ出した呟きも意味を持たず夜の静寂にとけてゆく。
 透けるような白い肌に漆黒の髪、通った鼻梁の下に続く唇は紅を引いたように赤い。
 見れば見るほどに艶麗なその姿、夜の空気はその艶やかさを増させる、三成は光に引き寄せられる虫のようにその唇に引き寄せられ、ゆっくりと重ねる。
 兼続の体が僅かに震えた。

 穏やかな夜のはじまり、そこには燃え上がるような激しさはない。しかし、今まで二つに分かれていた事が不自然であったかのように混ざり合い、溶け合い重なりあう。お互いの吐息すらももらしてしまわないようにと繋がり抱き合う。

 雪の舞い降りる音だけが存在する静謐な夜の世界に、決して離れぬようにと指と指を固く結び二人はやがて眠りの世界に誘われてゆく。

















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