左近×兼続

欲情








  



  そうして。翌日、日が落ちかけた頃になると静かな屋敷は俄かに慌ただしい空気につつまれ、そんな賑やかな空気に誘われるように見知った顔が続々と石田邸の門を叩いた。
「おや。今日はご一緒ですか」
 小姓が慌しくしている様子に玄関へ顔を覗かせると、調度そこにはあの日以来久しぶりに見る慶次と、そして兼続の姿があった。
「ああ、旨い酒が飲めると聞いてさ、兼続に頼んで連れてきて貰ったのさ」
 嬉しそうに笑顔を見せ、そう言って慶次は土産だよと片手に抱えていた酒樽を左近に手渡した。
「部屋は――わかりますよね?」
「ああ、もちろんだ」
 左近の言葉にこくりと頷くと、兼続は慶次を連れてそのまま廊下の先へと消えていった。この屋敷の隅々まで把握していると言うわけでもないだろうが、兼続とて慣れたこの屋敷の、どの部屋で宴会があるのかおおよそ察しはついているのだろう。その背中を見送って、見かけよりもひどく重い樽を両手で抱え直すと、左近も炊事場へと向かった。


 そうして三成と兼続と慶次、それから少し遅れてきた幸村に同席を許された左近と。久々の再会に勢いづいたのか、皆酒を呷る速さがいつもにまして早い。
 いつもに増してというのは、前にもこうやって集まって飲んだことは何度かあったからだ。その時はまさか目の前に座るこの二人がそういう関係だとは、流石の左近も気付きもしなかったが――良く見ると、成程仕草一つ一つがとても甘い。
 酒を煽るに重ねてその様子を盗み見ると、周りに遠慮するでもなくごく自然な仕草で時折慶次の手が兼続の腰へそっと回されている。それを合図に兼続が顔を上げれば――見ているほうが思わず赤面したくなる程の二人だけの時間が何度と無く訪れている。
 何故これほどまでのやり取りを今まで一度も気付かなかったのだろう。これだけ親密ならもっと前に分かってもよかったのではないか? そう思案したとき、隣から数度、左肩を勢いよく叩かれた。
「時に左近殿――
 顔を向けてみると、幸村が半分目が据わらせて左右にふらふらと上半身をゆらしながらこちらを向いている。
 ああ、そうだ。大体いつも誰かが始めにひどく酔いつぶれたりして、酒の強い自分はその世話を焼く役回りになるものだから、酔いに任せて始められた目の前の情事の切れ端に気付くことも出来なかったのかもしれない。
「今度は何だって言うんですか?」
 向いに座った二人にもう一度目を向けてから、左近は苦笑いを浮かべて真っ赤にした幸村へと向き直った。


 ――流石に飲み過ぎたのか。
 風に当たろうと厠を出てから少し庭を眺めていた左近が部屋に戻ってみると、序盤からえらく無口だった三成はそのまま床に突っ伏して倒れており、幸村も呂律の回らない口調で誰に話しかけているのか、明後日の方向を見ながら仰け反ってぐらりぐらりと身体を揺らしている。その向いに目を向ければ、慶次が部屋の真ん中を陣取るようにして大の字になっていびきをかき始めていて――それを隣で愛おしそうに柔らかな表情で見下ろしているのが、添うように座る殿の知己。
「兼続さんは本当にお強いですな」
 よいせと膝をつき合う程に近く席を移すと、もう一本どうですか? と銚子を促す。
「なに、謙信公に毎晩の様に酌をしておると、こうも酔えなくなってしまうのだよ」
 これはこれで困ったものだ。そう苦笑いして兼続が酒を受けながら左近を見返す。
「しかしそう言う左近こそ未だ素面ではないか。本当に強いな」
 そういえば前もこうだったかと、注ぎ返された酒を呷りながら思い返す。
 いつもなら表現の苦手な殿が喜びを酒で表すのか、序盤だと言うのに拘わらず勢いづけて飲むものだから、すぐに嘔吐を催してその世話に追われたり、泣き上戸な幸村が昔を思い返し半べそをかきながら縋るように息つく間もなく話を続けるもので、ほぼなにかに追われるようにしてへとへとになって最後を迎えるのだ。
 何となくこうやって二人きりで向い合うというのが初めてで、妙な照れくささが相俟って会話が上手く続かない。
「まぁ、これも修行のたまものと言えますかね」
「歴代の主の事か?」
 言ってからこれは言うべきでなかったか、そんな顔色を浮かべ兼続が申し訳なさそうにする。それに首を振って左近はニマリと笑みを浮かべた。
「いえ――まぁ、それもありますが一番は女、ですかね。女は飲みぶりの良い男が好きですからね」
 そういって兼続を見つめれば、縁の無さそうなその場所に恥じらい顔の一つでも見せてくれるかと思ったのだが、生憎期待を裏切って特に赤面する様子はない。むしろ何かを思いだしたように顔を綻ばせてこちらを見る。
「そういえば、あまりに遊び過ぎるといつか梅毒にかかるのではないか、なんて三成が心配していたぞ」
「それは勘弁したいですね」
 愛想笑いを浮かべて浮ついた会話を続け――では、と頃合を見て左近が切り出した。
「それじゃあ、左近直々に酔っぱらい共に蒲団でも掛けてやりますかね」
 夜はまだ少し肌寒い。いまは火照った身体で寝っ転がっていれば丁度いい気温かもしれないが、明け方には三人とも寒さでくしゃみの一つでも出るだろう。
「ならば私も手伝おう」
 そう言って兼続も立上がり、部屋を出る左近の後についてこようとする。
「いいですよ兼続さんは。お客人にそんな事をさせては後で殿に怒られます」
「その殿はもう潰れているではないか」
「まぁ、それもそうですね」
 潰れて床で泥酔している三人を見返して二人笑って、では、と並んで廊下に出る。
 いつもなら、いつもならここで女中を呼んで持ってこさせて終わる事なのに。わざわざ取りに行くなんて俺も策士だな、なんて並んで歩く男の足元を見ながら思う。

「ここですよ」
 少し廊下を進んだ先、襖を開くと暗い部屋の湿った畳の匂いが鼻をついた。
「今、火を灯しますね」
「なに、この位の暗さなら不便ないよ」
 そう言ってこれだな、と兼続が押入れから蒲団を取り出そうと手を伸ばした。その手をすかさず後ろから掴み取る。
「左近?」
 怪訝そうに振り返ったその顔が明かり取りの窓から漏れた月の明かりに映えて、思わずぞくりと心が騒ぎ出す。
「そうですよね。兼続さんは暗い方がお好きだ」
「何を……酔いがまわったか? 左近」
 左近の異様な雰囲気に身の危険を感じたのか、苦笑いを浮かべながらも兼続が強く腕を引こうとする。そうはさせまいとそのまま引き寄せて後ろから抱きつけば、小さく丸まった肩が一層大きく震えた。
「この前ね、柳町で貴方を見かけたのですよ」
 夜、遅くにね。そう耳元で呟くと腕の中で息をつめたのが分かる。
「なっ何を言っているのだ。私はそのような所になど――
「静かにしないと、皆が起きてしまいますよ」
 そう言ってするりと着物の間から手を伸ばせば、驚いた兼続が振り返って目を見開いている。
「何をする気だ?! 左近!」
 振りほどこうと試みるが、生憎背丈も力も左近も兼続には劣らない。後ろから羽交い締めの様な格好になると、形勢はどう考えても兼続の方が不利である。
 回した手のもう片方を胸元に忍ばせて、直に柔らかな突起を指先でやさしく撫でてやると、己よりも少し小ぶりの肩が大きく跳ねて左近の肩へぶつかった。
「左近、冗談は――
 振り解こうとした所でその唇を塞ぎ、きつく吸い付く。懸命に逃れようとしているようだが、羽交い絞めにされた上に敏感な部分を同時に攻められては、身体に上手く力が入らぬようだ。
 そのままゆるゆると下半身に伸ばした手を動かしていると、柔らかだったものが次第に固さを帯びてくるのが手にとってわかる。
――っ! やめっ」
 とうとう足に力が入らなくなってきたのか、ガクガクと震える膝でなんとか姿勢を保とうとしている。そのまま後ろから重心をかけて倒すと、すんなりと身体は床に突っ伏した。逃れようと畳を掻き毟るその腕をつかみ、上に覆い被さって動きを押さえる。
「左近!」
 明かり窓から注いだ光に映えた兼続の青白い面が強ばっている。それがどうにもたまらなく、美しい。
「左近、これは冗談にしては度が」
「まだこれを冗談と思えますか?」
 宴会をしていた部屋とこことは部屋を二つ挟んだだけの隣。助けを呼べば誰か起きて来てくれるかもしれない。だが助けを呼べば――この状況を知った三成が、誰よりも頼りにしている人を手放し失ってしまわねばならぬことになる。きっとそんな事でも考えているのだろう。必死で抵抗しながらも人を呼ぼうとしないその姿に、自分はなんて狡いのか、ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。けれど――もう左近とて後には引けないのだ。
 引き返せない闇に、既に手を出したのだ。
「なあに。一晩だけの楽しみじゃないですか。折角なんですから……兼続殿も楽しみましょう、ね」
 怪しく光る左近の双眸に、兼続の身体がぶるりと震えた。