光風

後編


















「あの、お客様が慌てたご様子で荷をお探しでしたが」
 室の外に立った婢女の言葉に幸村と武蔵は同時に顔を上げた。これはいかんと幸村は別室においていた荷のことを思い出して膝を立てた。二人は再び兼続の元に戻ると預かっていた荷を差し出した
「申し訳ありません。大事な書状を失くして大騒ぎをしてしまいました」
侘びを言いながらもまだ探し物が見つけられない様子の兼続は受け取った荷に手を入れると落ち着き無く中を探った
「……おかしい、やはり懐にいれいていたはずだ」
どうさぐっても出てくる気配のない大事の書状にとうとう兼続は下がり眉になって泣き出さんばかりの情けない表情をつくった
「一体、何を失くされたのですか」
「実は師がしたためて下さった大坂の先生への紹介状とその所在を書いた紙を……」
「もしかしたら岩から落ちた場所に落としてきたのかもしれません。昼をいただいた後戻ってみましょう」
幸村がそういうと兼続はかたじけないと頭を下げた。
 三人は昼餉の後再び馬を駆って丘に戻ってみたが、その場にも行き道にもそれらしき物は落ちていなかった。がっくりと肩を落とした兼続は書状と一緒に財布までも失くしていた事に気付いて途方にくれた。そんな兼続に幸村はそれなら師の知り合いの医師が見つかるまでここに居ればよいと言った。兼続は恐縮しきってそんな事は出来ぬといったが、特殊な職である上に大坂の街に住居をかまえているというのならすぐに居所は知れるだろうからすこしの間だけと幸村が説き伏せるかたちになった。
 だが、予想に反して兼続の師の知人であるという医師は大坂の隅から隅まで探しても見つからなかった。幸村邸への滞在も十日を越えたころ焦った兼続は江戸の師に文を認めると言い出した。幸村もそれがいいだろうと兼続の文が仕上がるとすぐに飛脚を出した。
 それからさらに十五日程が過ぎ江戸からの返事が戻ってきた。その返書を開いて文を読み進めていた兼続は突然に膝を折って崩れると泣き出してしまった。
 書状は師の黒川からの物ではなく、彼の懇意にしていた武家の男からのものだった。内容は兼続が大坂へ発った翌日、黒川は突然発病し三日もたたぬうちに息をひきとったというものだった。他に慰めの言葉と近所の女が見取った際に黒川から聞き取った、学び修めるまでは江戸へ戻る事はならないという遺言と一房の毛髪が添えられていた。
 泣きおさめた後も兼続はしばらく呆然としていたが、おもむろに部屋を片付けはじめると、気遣って部屋を出ていた幸村の元へ服装もすっかりと旅装束に改めてやってきた。
「幸村様、そして武蔵様、お屋敷の皆様には誠にご迷惑をおかけしました。この様な身で今は何のご恩返しも叶いませぬが、いつか身を立て必ず受けたご恩をお返ししに戻ってまいります」
そう言って深々と頭を下げた。背を向けて出て行こうとする兼続の背を切迫した幸村の声が追った
「待ってください!」
振り向こうとした兼続はすでに幸村に手首を取られて驚いていた
「どこへ行くつもりですか」
「……分かりませぬ。ですが少しでも働いて金子を貯めぬ事には何もはじめられませぬので……」
「ならば、ここに居れば良い!」
 兼続の修学先が分かっていれば、いずれ真田家抱えの医師にと思っていたが、こんな形で兼続を離せばもう二度と会えないかもしれないという焦りが幸村の言動を強引なものにしていた。
 そして再び幸村に説き伏せられ兼続は幸村邸にとどまる事になった。


――数日後

 幸村と兼続の思わぬ再会に、予定していた以上に大坂滞在を長引かせていた武蔵は二人の身辺が良い具合におさまってきたのを見届け再び旅に出る事にした。
「黒川、俺は明日大坂を発つ。こんな事をあんたに言うのは変だと思われるかもしれないけど……、幸村のことよろしく頼むよ」
 書を読んでいた兼続はそれをたたむと武蔵の方に向き直って丁寧に頭を下げた。
「武蔵様にも色々とお世話になりました。何とお礼を申して良いのか…」
馬鹿丁寧に言葉を続けようとする兼続を止めると武蔵はいいってと笑った。
「ところで武蔵様、一つお聞きしても良いですか?」
「何だ?」
「どうして幸村様は、身元も確かでない私のような者にこのように良くしてくださるのでしょう……」
武蔵は言うべきかしばらく迷っていたが、兼続の真っ直ぐな視線とぶつかり決心した
「似てるんだよ、あんたが。あいつが失った一番大切だった奴に」
「……」
しばらく沈黙して何事か考えていた兼続だったが、顔をあげると
「では、私はこの顔に二度も救われたわけですね。師の為にも、ここまで私によくしてくれる幸村様や武蔵様の為にも、私も早く一人前になって恩返しをできるようにならなくては」
「ま、そう気負わなくてもいいんじゃないか。あんたには分からないかもしれないけど幸村はあんたがここに居るだけで救われてると思うぜ」
「だと良いのですが……」
そう言うと兼続は眉を下げて笑った
 実際兼続がここに来てからというもの幸村は本当にうれしそうに笑むことができるようになった。
 兼続がここにとどまる事になった事情が事情なだけに口に出して言う事は憚られたが、幸村にとってこれは幸運だったなと武蔵は思った。
 兼続は昔の記憶を持たず幸村を知らない人間になってしまった、だが礼儀正しく物事を真っ直ぐに見ようとする澄んだ心は以前の兼続のままだった。
 昔を思い出していただけないのは寂しい気がする、だが心穏やかにすごされている兼続殿を見ていると私はそれだけで十分なのだと幸村は何度も武蔵に言った。
 翌早朝、武蔵はいつになく晴れがましい気持ちで幸村邸の門を出た。
 今度戻ってくるときには幸村はきっと今までに無い様な幸福な顔で出迎えてくれるだろう、そしてその隣には兼続の姿があるのだと思うと自然と頬が緩んだ。

 武蔵が出立すると、幸村は兼続の為に薬学の勉強に打ち込める環境を整えていった。
 元々頭が良い兼続は幸村の雇い入れた大坂の町一と言われる薬師が驚く程の勢いで知識を広げていった。
 幸村は忙しい政務の間をぬって勉強に励む兼続のもとに顔を出した。


「幸村です」
 この日も幸村は兼続に与えたはなれの前に立つといつものように声をかけた。中でバタバタと騒がしい音がするのを聞いて何事かと障子を勢いよく開くと、そこには片脱ぎになった姿の兼続が腕いっぱいに書籍を抱えて立っていた
「ゆ、幸村様、申し訳有りませぬ、このような見苦しい姿で」
肌蹴た肩を隠そうと動かした腕からバラバラと数冊の書が畳の上に広がった。
「い、いえ、私こそ……」
幸村は兼続の白い肌から目を反らすと動揺をおさめるように落ちた書籍に手を伸ばした
「ところで何をなさっていたのですか、春といえどまだこの刻限は冷えるでしょうに」
 兼続は己の身体にのこった傷痕の検分をしていたのだと言った。
「師の話では私は随分と深手を負っていた様なのですが、私の体に残る傷の痕からはさほどの深手を負った様子がないので、いかような手当てをしたのかと書物の傷痕の項を見ながら考えていたのです」
「なるほど」
幸村は武蔵の太刀を受け、どうみても浅手だったとは言えない血塗れた姿で崩れ落ちた兼続を思い出した。
「もし、お嫌でなければ私にも少し拝見させていただいてよろしゅうございますか」
兼続は少しうろたえたように視線を泳がせたが、お見苦しいものですがと呟くと、ゆるくかけただけになっていた着物を脱いだ。
 右肩から左胸にかけて薄く紅い線を引いたような痕があるが、行灯一つの暗い室内の中ではそれは目をこらさないと見えないほどに薄い。しかし手で触れてみるとそこは隆起し確かに傷の痕がある事を伝えている。右肩から左胸までのその痕を指でなぞっていると兼続の体が緊張の為かわずかに震えた。医師の技量に驚嘆し夢中になっていた幸村は、今己が触れているのは兼続の肌なのだという事を思い出しはっとした。
 今己の触れているこの左胸の下には兼続の心臓が鼓動を打っている。このお方はちゃんと生きているのだという喜びと共に兼続に対して抱いていた憧れや後悔、恋情、積年の思いが一気に心の奥底から吹き上がってきた。幸村は理性を働かせる間もなく兼続の顎をとらえると貪るようにその唇を奪っていた。
 長い口付けのあと、幸村が体を離すと兼続は驚いた表情をしていたが、やがて目を細めただけだった。
 幸村は兼続が拒絶の色を見せないのを確かめるとそのままその身を畳の上に横たえた。今の兼続が己に好意を持っているのは分かっている。だが以前の直江兼続としての記憶を持たない彼にこんな思いをぶつけてもいいのかと思わぬ気持ちが無い訳ではなかった。しかしそこにはどうしても押さえることのできない衝動があった。
「兼…続殿……」
呼んではいけないと思っていた名が涙と共に零れ落ちた。だがそれを聞いても兼続は微かな笑みを浮かべたまま幸村を見つめていた。
「も、申し訳ありません」
「幸村様……、良いのです」
 兼続は腕を伸ばすと幸村の涙を拭い、そしてもう一度良いのだと繰り返した。
 幸村は優しく頬を撫でるその手に誘われるように再び兼続に口付けた。
長い夜の始まりを静かにゆれる灯が照らし出していた。








二部〜凶風〜に続く

のですが、二部の最後は誰もがハッピーエンドと言えるかどうかわからない代物になりそうです。結構痛い感じの話になるかもしれないので普通のハッピーエンドがお好きなお方は二部は読まずここまでで二人は幸せにその後も暮らした事にして下さいませ!スミマセン……
二部の凶風ですが、実は前のサイトの時に漫画で描こうとしてて途中で終わってたヤツなんですねぇ……昔の事すぎてご存知の方なんか居ないかもしれませんが^^; ご存知の方がいたらちょっと内容分かるかもしれません…そういう事です、そういう事があったんですハイ…(全然分からんか)