光風

前編








  

※戦国無双2武蔵ストーリーの江戸城落城後。幸兼話。二部構成になる予定ですが、一部のみでも読める話にする予定です。……というのも二部エンディングは人によってはものすごくバッドエンドに感じられるかもしれないような代物になる可能性があるので(自分の中ではそうでは無いのですが)














「たった二年で随分と大きくなったような気がするな」

 小高い丘から朝靄の中に浮かぶ大坂の街を見下ろして武蔵は言った。隣に立った真田幸村は冷たい早朝の風を頬に受けながら微笑して頷いた。
 戦国最後の大戦から二年、江戸の街程に壊滅的な打撃は受けなかったが大坂の街もいくらか戦火に焼かれ灰となった。しかしその両都市は今度こそ無二の天下人となった秀頼の号令の元、現在着実に復興を遂げていた。

戦後幸村は今戦での最大の功を認められ多大な加増を受けた。武蔵にも同様の褒賞が与えられる事になっていたが、武蔵はこれをー殿様なんてのは柄じゃない、と辞退した。相変わらず諸国を遍歴し剣の道、己の生き方を問うているのだと言う、悩み多き未熟者だからと苦笑いしながら。しかし、それでも半年に一度、多い時は三月に一度程幸村の元を訪れて来ては共に復興していく街を眺めては感慨に耽るのだった。

 しかし、今日はそんな静かな二人の時間に闖入者があった。

 うわぁという叫びと岩が崩れる音に二人は顔を見合わせ、そして同時に駆け出した。幸村達が立っていた場所から曲がり道になり見えなかった丘面に音の主はぐったりと横たわっていた。
 行商人風の男が倒れた上には崩れ落ちた岩の破片がいくつも散らばっている。そして崩れ落ちた岩片が頭を打ったのか額からは夥しい量の血が溢れ顔中を赤く染めていた。
「これはいかん、武蔵」
武蔵はうんと頷くと手早く男の身体を抱え上げた。幸村はその背に負われていた荷を外して自分の背に負いなおした。そして二人は男を馬に乗せると幸村邸へと戻るべく馬をかった。

 屋敷へ戻った幸村は、男を客間の布団に寝かせ、医者を呼ぶようにと下男に言いつけた。屋敷の者がてきぱきと動く姿を見送った後、怪我人を運ぶ際に汚れてしまった着物を着替えるようにと言う婢女にしたがって二人は奥へと入った。

「随分と出血していたが、大丈夫だろうか」
「額だったからな。まぁ、真田家掛かりの名医が診てくれるのなら大丈夫じゃねえか」
 衣服を改めた二人は医師の診立てが終わるのを別室で待っていた。
「行商人の様ななりをしてたが、あの荷の中は何だろうな」
 屋敷に戻ってから、部屋の隅に主を失ってちょこんと置かれた荷を指差して武蔵は言った。
「さぁ」
「ちょっと見てみるか」
「勝手にそんな……」
「少しぐらいいいだろう。何売りか見るだけだよ」
子供のように好奇心旺盛な武蔵は目を輝かせながら、荷に手をかけた
「……薬売り、だな」
荷の中に大きな秘密でも隠されていればそれはそれで問題なのだが、とりたて変わったところがない事に幾分かがっかりしながら武蔵は荷を元の様に片付けた。
「しかしあいつあんな所で何をしてたんだろうな」
「さてなぁ」
 それ以上は例の男についてお互い語る事もなくなり、やがて話題は大坂の街や真田の食邑の事に移っていった。
 そうして四半刻程が過ぎた頃、どたばたと騒々しい足音が室に近づいてきた。幸村と武蔵が何事かと立ち上がろうとした時、室の外から幸村の腹心の部下である望月が―殿、と声をかけてきた。障子を開けて幸村が顔を出すと望月は困った様な、焦った様な落ち着きない様子で例の男の事で話があると切り出してきた。幸村はいつも沈着冷静な家臣の常ならぬ振る舞いを見て何事かと問いただした。
「殿、殿があの者を連れ戻られたとき、随分と血塗れておりましたが、殿はあの者の顔を見られましたか」
「いや、見つけた時既に出血が酷かったから確とは……」
 お前はどうだと問うように幸村が武蔵に視線をやると武蔵も横に首を振った
「あの者の顔が、どうかしたのか」
「説明するよりも、見ていただいた方がはようございます。こちらへ」
 武蔵と幸村は再び視線を交わして訝る表情になったが、やがて連れられて入った室の怪我人の前で望月以上に動揺し、絶句する事になる。

 「そ……、そんな馬鹿な」
 先に口を開いたのは武蔵の方だった。武蔵は幸村の反応を確かめようと顔を向けたが、幸村は未だ時が止まったように微動だにせずに床に寝かされた男を凝視している。
「おい、幸村」
 武蔵に肩をつかまれ幸村はやっと我に返った。
「これは……、でもまさか……」
 二人のやりとりを見ていた望月が、おそれながらーと話に入ってきた
「私は殿程間近で直江兼続を見た事はございませぬので、まさかとは思い申したが……やはり似ているのですね」
 幸村と武蔵に助けられ、今目の前で眠っている男は二年前の大戦で江戸城で武蔵に斬られて死んだはずの直江兼続にそっくりなのである。
「似ているなどというものではない。これは兼続殿ご本人としか……」
「でも、そんなはず無いだろう……」
 そうは言ったものの、武蔵も自分の言葉を信じてよいのかどうか分からない。
「医師の診立てによりますと、傷が額なので出血は多かったものの、他に打撲の痕などもないゆえ暫時お目覚めになるとの事でした。お目覚めになってからご本人からお伺いするのが最善かと……」
 最初は動揺していた望月、主の動揺が己のものを随分と上回って言葉を失う姿に幾分か冷静さを取り戻してそう言った。確かにそれが一番確実な方法だと、二人は怪我人の前に腰を降ろしてその目覚めを待った。武蔵は幾度か幸村の表情を窺ったがその視線は相変わらず横たわる男に釘付けになっている。

 そうして一刻程が過ぎた頃、男の眉がピクリと動いた。幸村はそのわずかな動きにぱっと膝を立てて枕頭ににじりよった。次に、その瞼が持ち上げられるのを見て武蔵と幸村は再び驚愕する事になる。
 兼続の瞳の色は少し常人のそれとは異なっていたのだが、この男の瞳も兼続のように鈍色で光の当たる角度によっては底に浅葱が見えるような不思議な色合いをしていた。
 開かれた瞳はゆっくりと幸村と武蔵へと視線を行き来させたが、次に怖じた様にかけられていた布団を顔の方へ引き寄せるようにした。
 幸村と武蔵ははっとして不躾な視線をおさめた。
「これは…、失礼を致しました」
 幸村はそれだけ言うのに精一杯という体だったが、今度は男の方がおずおずと口を開いた。
「申し訳ありませぬが……、こちらはどなた様の御宅でしょうか……」
 そう言うと男はゆっくりと半身を起こして周りを見回した
「随分と御身分の高いお方のお屋敷とお見受けしますが……」
その言葉には自分がこのような所に居て良いのだろうかという遠慮の響きが含まれている。が、幸村も武蔵も再び絶句している。この男の顔や瞳の色のみならず、声までもか兼続そのものだったからだ。
 またしても注がれるただならぬ視線に男はまた怯えた様に言葉を続けた。
「馬鹿な事をして怪我をしそうになったのは覚えているのですが……。この様にどこのどなた様とも知れぬお方に随分をご迷惑をおかけしたようで……」
 男が額に巻かれた包帯に手をやった所に
「あんた一体誰なんだ……」
唐突に武蔵が問いかけた。本当はもっと順序だてて聞いていくべき事があると分かっているのだが、やっと口から搾り出せたのはその言葉だけだった。
 武蔵の言葉に一瞬目を白黒させた男だったが、慌てて居住まいを正すと己の身分を語り出した。
「これは、助けていただいたお方に名も名乗らず大変な失礼を致しました」
 男は名を黒川源一と名乗った。江戸で薬学を習っていたが、師匠が己の老い先長くない事を案じて大坂の知人の元へ遊学させてくれたのだと言った。
 黒川と名乗る男の話を聞いているうちに武蔵はいくらか気持ちを落ち着かせていた。一通り話しを聞いた後、武蔵は口を開いた
「しかしあんた、習うって歳には見えないんだが。普通なら患者の一人や二人診ててもいい歳なんじゃないか?それとも薬学ってのは世間の職とはちょっと勝手が違うのか」
 そう言われて男は困った様に頭を掻くとその通りですと言った
「私の歳でまだ習い中の身というのは誠にもってお恥ずかしい話なのですが……。実は私、二年以上前の記憶が全くございませんので」
武蔵と幸村は再び目を合わせた
「記憶が無い…とは」
 切迫した表情で詰め寄る幸村に男は戸惑いながらも話を続けた
「私、どうやら二年前の江戸の戦に参戦していた様なのですが、そこで瀕死の怪我を負って死にかけていた所を師に助けてもらったのです」
「その江戸に居る…?」
「はい、なんでも私が亡くなった師のご子息に似ていたとかで随分と良くしていただき…、名前も元の自分の名が分からぬものだから師からいただいたものなのです」
「で、あんた記憶は全く戻らないのか」
「私も最初は年齢などから考えて妻子もある身かもしれぬと、必死で思い出そうと致しましたがどうにもならず……。師にも新しい人生を歩めと天啓かもしれぬと解かれまして、しばらく薬の事を習って気を紛らわしているうちに諦めがつきました」
「でも、あんたの着てた物とか、手がかりになるものはあったんじゃないのか」
「それが、どこの軍に属していたとも知れぬ端武者の様ななりで倒れていた様で師も私も、ぼろぼろになった私の着物を見て二人で首をかしげたものです」
そこで男は少しはにかんだ
「怪我人に無理をさせました。もうじき昼餉の刻限ですし、黒川殿は今しばらくここでお休みになるとよろしい。あ、申し遅れましたが私はこの屋敷の主で幸村と申します。こちらは友人の武蔵、彼と一緒にあなたを見つけました」
それだけ言うと、幸村は武蔵を連れて何か言いたげな男を残して室を出た。

 別室へ移ると幸村は腕を組んで黙りこんだ。
「どう思う……?」
 珍しく返事もせずに幸村は宙を睨んだままだ
「他人の空似って言うには似すぎているが…、あれが兼続だって言うには腑に落ちない点が多いな」
 相変わらず無言の幸村の前、武蔵は小声で言った
「お前にとっても、俺にとっても言ってもどうにかなるものでもないと思って今まで黙っていたんだが……」
 珍しく口篭り気味に話し出した武蔵を幸村は凝視した
「俺はあの時、兼続に止めを刺せなかった。あの状況なら一思いに殺してやるのが情だと思いながらも、どうしても出来なかった。そういう意味であいつが生きていたって可能性は有る。だけど、一人であの城を脱出できる程の浅手だったかというと、そうじゃないはずだ……」
 武蔵の言葉に暫く沈思していた幸村は口を開いた
「確かに、腑に落ちない点は有る。だがな武蔵、あれは他人の空似などではない。間違いなく兼続殿だ、顔や声だけではない、ほくろの位置までも完全に同じなのだ」
そこまで言うと幸村はふっと表情を緩めた
「どんな形であれ兼続殿が生きているというのであれば、私は二度とあのお方を失いたくない」
 兼続の師だという男が言った通り兼続が記憶を失った事は僥倖と言えるかもしれない。もしも兼続が戦前の記憶を持ったままに生き延びていたとすればあんなに穏やかに笑んだり、話したりする事は兼続の性情上ありえないだろう。このまま黒川源一という人間として薬学を習い、無事習い修めた後には真田家お抱えの薬師になってもらう事もできるかもしれないと幸村は言った。
 そう言う幸村の横顔からは大戦以降ずっと心の奥底に澱んでいた陰鬱な靄が取り除かれたように、優しくなっていた。

 たったこれだけの間にそんな先の事まで考えていたのかと武蔵は瞠目したが、そうだーと思い出していた。

―こいつは兼続が本当に好きだったんだ。

 武蔵は戦前に幸村が兼続の事を語る時の憧憬と尊敬の篭った口調と眼差しを思い出した。ともすればそれは幼くはにかんで見せて頬を赤く染めたりしたので、色恋事には疎い武蔵にでもこれが単なる目上の者に対する憧れだけではないのが分かった。
 だから、江戸城で兼続を失った後の幸村の慟哭には武蔵も身を切られる思いがした。
 戦が終わってから、幸村は大領の領主となると悲しみ嘆く暇もなく立ち働いた。一見、大切な者の多くの死を乗り越えて強く生きているように見える幸村だったが、武蔵には胸に空いてしまった穴を埋める為にただ我武者羅に突っ走っているように見えた。







後編につづく