翳恋

十一















 「ものすごく不本意。本当に殺したいわあんたの事」
 旅装束の兼続の隣に並んで歩くくのいちは相変わらず鋭い視線をよこしながら言った。
「そなたがそうしたいなら、そうしてくれても構わん」
「ずるいっ!私が幸村様の命令に背けないの知ってて言ってるんでしょ」
「いや、私を殺して山にでも埋め、幸村には送り届けたと言えばよい」
「それもそうね。そうしちゃおっかな〜」
 言ったくのいちは、さっと腰からくないを抜くと兼続の喉元に突きつけた。兼続は無言でその場に立ち止まった。
「はぁ……その目が一瞬でもびびっちゃえば本当に殺しちゃうんだけどな。あんた本当に私に殺されてもいいと思ってるんでしょ」
「そうしたいならそれでよいと言っている」
「どうしてよ」
「私がそなたらの為に出来る事はそれぐらいしかないから」
くのいちは眉間に皺を寄せ拳を握り締めると地団太を踏む仕草をした
「だ〜か〜ら〜、それもういい加減やめてよ。あんたのそういうちょっと間違った優しさが幸村様を今まで苦しめてたんだって分かりなさいよ」
「すまぬ……」
声を落として詫びる兼続にくのいちは今度は大げさに肩を落としてみせた。だが、次の瞬間
「―っ?!」
 ぷりぷりと怒っていたくのいちの表情に緊張が走る。一瞬のうちに後ろに跳び下がったかと思うと、その場所に何本かの刃が飛んできた。
 兼続は何が起こったのかわからずにただその場に立ち尽くしていた。
「もぉ〜!やだなぁ半蔵の旦那ってば、いきなり攻撃は無しですぜぇ〜」
 いつの間にやら兼続の頭上の木にぶら下がるような形になっていたくのいちが、半分おちゃらけたような声を出す。
「兼続、大丈夫か」
 腕をつかまれて振り向かされた兼続はその視界に半蔵の姿をとらえた。ほんの数日の間会わなかっただけなのに、随分と懐かしい顔。その腕の中に崩れ落ちてしまいたい気持ちになったが、くのいちと半蔵の間に流れる殺気がそれを許さない。
「ちょっと、ちょっと、兼続さんっ!半蔵の旦那にちゃんと説明してよ!私はこんな所で旦那とやりあうなんてまっぴらゴメンよ」
「黙れ」
 半蔵はくのいちの言葉を制すると、くのいちに対する殺気を消さぬままに兼続の顔にのこった痣を撫でた
「何をされた」
「待て半蔵、何もされておらぬ!」
 兼続は今にも攻撃を仕掛けんとする半蔵の腕を抑えた。そして最後に見た幸村の顔、言葉を思い出していた。

――私はあなたを本当に愛していた、誰よりも、何よりも。ずっと幸せにしたいと、あなたをあなたの望む世界に住まわせてあげたいと思っていた。
 だけどもう……、私はあなたを手放す事でしか幸せにしてさしあげられないのですね。――

 そう言った幸村の瞳からはどうしようもなく零れ落ちる涙があったが、表情の奥にはかつての狂気を帯びた不安定な揺らぎは存在しなかった。
 何かを言いたい、だけど口を開けばまた何か余計な事を口走ってしまいそうだった。静かに頷いて礼をすると兼続は幸村の元から去った。

「幸村は……」
兼続は抑えていた半蔵の腕にぎゅっと力を込めた
「私達に生きる機会を与えてくれたよ」
「そうそう、寛大な幸村様はお上にも旦那達のことは知らせませんって〜。だから、さ、さ、その殺気なんとかしてよ。落ち着かないって」
 半蔵は黙って兼続の前に出るとくのいちを凝視した。
「あぁ〜分かった、分かりましたよ。後はお二人で仲良く帰ってください。邪魔者はこれにて退散いたします。じゃ、お元気でぇ〜」
 おちゃらけた顔で別れを言った後、ましらのように木の枝をざっざっと揺らしながらくのいちは遠ざかっていた。

 しんとした森の中に二人は取り残された。