義トリオ(半蔵×兼続)
番外 義トリオ編
◆お友達がまたまた素敵なその後のお話を書いて下さいました!!今度は義トリオ(幸→兼+三成風)です!!萌えるぅぅーー!!ありがとうございます
「幸村、今日はよく呑むな」
さりげない調子の中に、心配の色が見える。真田幸村は手元の盃を覗くようにしていた顔を上げた。声の主、石田三成は幸村と同じように盃に口をつけている。顔はあさっての方向を向きながら、時折、ちらちらと横目で幸村を見ている。この男はあからさまに人を気遣うのが照れくさいらしい。
「はい。今日は飲みたい気分なのです」
「珍しいな。どうした?」
「はい、あの……実は………気になる、女人が」
ぐりん、と音がしそうな勢いで、三成の顔がこちらを向いた。本人は真面目くさった表情をしているつもりらしいが、三成の両目は三日月の形になっている。そうしていると本当に狐のようだ。酒が回っていて良かった、と幸村は思う。素面の時なら居たたまれなさに、それきり口を閉じてしまうだろう。
「おい、兼続!焼き魚など食っている場合か。幸村が女子に興味を示したのだぞ!?」
三成は、我が子が初めて立ったのを目にした母親のようにはしゃいで、話に加わらず料理に舌鼓を打っていたもう一人の友、直江兼続を呼ぶ。
「待て、今日は他所の家中の屋敷に行く用事が三つもあって、私は腹が減っているのだ。…せめて、この太ったさんまを平らげてから…」
「駄目だ、幸村の一大事だ!」
三成はそう言いながら兼続から箸を取り上げ、代わりに盃を持たせる。声が完全に笑っている。三人の中で一番酒に弱い三成は、もう気持ち良く出来上がっているようだ。三成のそれは、特に心を許した相手だけに見せる姿で、これから自分の悩み事を酒の肴にされる事がわかっていても、幸村は怒る気にはなれなかった。
今日は、三成が手に入れた書物を兼続に見せに行くと言うので、兼続の屋敷に幸村もついてきた。実は、幸村の悩み事には少々兼続が関わっており、幸村は気が引けたのだが、書物など口実で、忙しい合間をぬって幸村や兼続と集まりたい三成の気持ちを無下にはできなかった。友であり、年の離れた兄のようでもある二人と過ごす時間は、幸村にとってもかけがえのないものなのだ。
「やれやれ……幸村、話してみぬか?力になれるかわからんが、人に話せば気分が晴れるやもしれぬ」
酔っぱらいに食事を取り上げられても、兼続は怒らなかった。三成がこぼれそうな勢いで酒をつぐのを軽くいなして、縁一杯に酒が入った盃を、難なく飲み干す。その頼もしさ。兼続の包容力は、言い過ぎる三成と、不満があっても黙り込んでしまう幸村を大きく包み込む。少々の行き違いも、兼続が笑顔でとりなしてくれるから、三人の間でいさかいになる事はほとんどない。そんな兼続に、幸村は憧れていた。
「今日は前田はどうした」
「慶次か?孫市と呑みに出かけた。奮発して小遣いを握らせたから、今日は帰って来ぬな」
「聞いたか幸村、今日は俺と兼続しかおらん。遠慮せず話せ…最初から」
幸村が武士として慶次を目標にしているのを、三成達は知っている。幸村が慶次の前では弱音は吐けぬだろうと気を遣っているらしい…半分くらいは。残りの半分は好奇心だ。
「この間、堺の町に一人で出かけた時の事です…」
話してしまおう。兼続に対する後ろめたさを上手に隠して。
その日、幸村は用事で堺の町に一人で行った。用を済ませた後、しばらく川のほとりを散策する事にした。堺の町の活気と人混みに、少々疲れたのだ。暑い夏が終わり、涼しい風が吹くようになった土手を歩く。紅葉にはまだ早いらしく、川辺の林の草木は青々としていた。向こう岸に渡る橋の下に来た時、橋の上の女が、何かを落としたのが見えた。それは川の中にポチャリと音をたてて落ちた後、川面に浮かんだ。
「あ…!?」
女が欄干から落ちそうなほど身を乗り出して叫ぶ。女は、自らの懐に手を突っ込み、何か出そうとしているようだが、それより先に幸村は動いた。服も脱がずに川に入る。女が落とした物は、川面に浮かんでゆっくりと流れている。一度沈んでしまえば、見つからなくなるだろう。その前に、と幸村は胸の辺りまで水に浸かりながら女の落とし物を拾い上げた。岸までたどり着き改めて見ると、それはつげの櫛だった。花柄が彫られており、可愛らしい。櫛をながめていた幸村の元へ女が駆けてくる。女は、若草色の中に黄色と茜色の七宝紋様が入った小袖を着ている。垂髪の毛先を玉結びしているが、女にしては少々髪が短いようだ。
「あ、ありがとうございます!なんとお礼を申せば…!?」
女の言葉がふいに途切れた。不審に思った幸村は女の顔を見た。そして、幸村も言葉を失った。
― 美しい ―
幸村は、胸の中に浮かんだ言葉の陳腐さに絶望する。それほど女は美しかった。 女は幸村より年上らしかったが、年増である事など光輝く女の美貌の前には些細な事だった。熟れた果実を思わせる唇は、無性に幸村の食欲をそそったし、何よりも、女の瞳……けぶるような長い睫毛に縁取られた切れ長の目の中、淡い瞳が煌めいている。その瞳に幸村は吸い込まれそうになる。この瞳には、見覚えがあった。
「兼続殿……」
「…………それはどなたですか?私は女でございますよ」
女に聞き咎められ、幸村は、己がここにいない人の名を出した事に気づいた。
「ああ…すまぬ、そなたによく似た目をした方を知っているのだ」
あわてて弁明する。女の顔色が紙のように白い。男と間違えたわけではないが、気を悪くしたかもしれない。
「すまぬ、そなたを男と思ったわけではない…」
「……いいえ、私こそ失礼いたしました。落とし物を拾っていただいたお礼もろくに申さず…お武家様、お許しくださいませ」
女は深々と頭を下げた。鴉の濡れ羽色の髪が少々乱れていた。女の着物の合わせも大きく開いている。胸元の隙間から紙がのぞいていた。護符のようだ。神社の帰りだろうか?胸元に護符を忍ばせている所も、兼続に似ている、と幸村は思った。幸村の視線に気づき、女は着物の乱れを整える。
「髪を直そうと櫛を取り出しましたら、手が滑って…その櫛は大切な物でして、拾っていただいて本当に助かりました」
女が差し出す白魚のような手に見とれていた幸村は、我にかえる。あわてて、女に櫛を渡した。二人の指がわずかに触れ合う。幸村は自分の血が沸くのを、はっきりと感じた。女は、櫛の歯が欠けていないか、傷の有無を丹念に確認した後、櫛を胸にかき抱き、しばし瞑目する。本当に大切な品なのだろう。ずぶ濡れになってでも川に入って良かった、と幸村は思う。
「それにしても、お召し物がすっかり濡れてしまって…どうしましょう、どこかの茶屋で…」
「いや、大丈夫だ。この陽気ならすぐに乾く」
幸村の群青色の肩衣袴は、胸までぐっしょりと濡れて、ぽたぽたとしずくを垂らしている。どこかの茶屋で着替えを借りて干すべきだと幸村も思ったが、茶屋の部屋に女と共に入ると思うと居たたまれなかった。なにか、とんでもない間違いをおこしてしまいそうだ。
「でも、もう風も涼しゅうございますし…」
「陽は暑いくらいだ、心配ない」
袖や袴を手で搾りながら、幸村は女の申し出を固辞する。女と二人きりになる事が、堪らなく魅力的な事に思える。それ故に、幸村は固辞した。
幸村と女が押し問答している所に、誰かが近づいてきた。人影を認めた女の顔がぱっと明るくなる。幸村は胸をつかれた気がした。
「お武家様、手前の女房が何か…?」
近づいてきた男は、そう言った。ねずみ色の小袖を着ている町人だ。女とほとんど背丈の変わらぬ、地味な男だった。戦に出た事があるのだろう、顔に刀傷がある。
「あ…あなた、私があなたにもらった櫛を川に落としてしまって…お武家様が拾って下さったの」
女が頬を赤らめて男に言った。
「それはとんだご迷惑を…」
男が幸村に頭を下げる。
「いや、私が勝手にやった事、気にしなくてよい…そなた達は、夫婦なのか?」
女が亭主持ちであった事に、幸村は衝撃を受けた。これほど器量の良い女が独身のはずはない。少し考えればわかる事だった。
「はい、半年前に祝言をあげました」
半年前。たった半年前まで、この女は独り身だったのだ。半年遅い出会いを、幸村は残念に思った。だが、女と茶屋に行かなかったのは間違いではなかった。行っていれば、この夫婦の離縁のきっかけを作ってしまったかもしれない。
「私はもう行こう。…いつまでも、夫婦睦まじく、な」
幸村は逃げるようにその場を離れた。少し離れた所で振り向くと、夫婦は幸村に向かって頭を下げていた。
「ほう、さすが幸村だ。よくぞ思い留まった。これがうちの秀吉様なら、女の名と身元を聞き出し、亭主に金を掴ませて、女を取り上げる所だ」
幸村の盃に溢れるほど酒を注ぎながら、三成が言う。ほとんど呂律が回っていないが、言う事の辛辣さは素面の時とかわりない。
「言い過ぎだぞ三成…否定はせんが。だが幸村、残念だったな」
同じく三成が注いだ溢れそうな盃を、水でも飲むように干しながら、兼続が言う。三成がぐでんぐでんに酔っている時だけ、兼続は三成の主に対する想いをちらつかせる。
「はい、残念でした。とて、もざんねんで……私はっ!私は不心得者なのでしゅっ!」
幸村は泥酔の域に突入している。無理もない、幸村の話が途切れる度、三成が溢れそうな盃を幸村に呑ませたのだ。
「ん〜?何がふこころえなのだ〜?」
火薬で自爆した大和の悪党のような口調で、三成が幸村に先を促す。
「私はっ…ずっとあの女人が…忘れられないのでしゅっ…夢に出て…く…ちゃ屋で…彼女を、押したお、して………私は!私はあああァァァっ!!!」
「おい幸村、細川のせがれのように取り乱すのはよせ」
急にすらすらと三成が喋り出す。
「亭主がいるならどうにもならん。お前になら、その女より良い嫁が、きっと見つかる。だから諦めろ。諦めるまで…今日はぁ…のめ!」
酔いが醒めたわけではなかったようだ。
「ううぅ〜…かのじょが、ご亭主に、見せたえがおが…あんな笑顔…ごてい主…が…来るまで、見せなかっ……うううぅ」
幸村は泣き出した。
「ご亭主が、ご亭主がうらやましくて…妬まし、くて…私はああァァァっ」
そばで幸村が大声でくだをまいているのに、三成は瞬く間に寝入っていた。徳利を握りしめたままだ。
「ああ…すみませんすみません…私は、あなたで自分を慰んで…」
「あなたが…似ていたから……代わりに…すみません……」
謝りながら幸村も眠りに落ちた。空の盃が畳の上に落ちている。それをこの屋敷の主が拾って、膳の上に片づける。主はふすま続きの隣の部屋で、客の為に布団を敷いていた。酔客の大声のおかげで、話の内容は聞きもらしていない。主は懐から護符を出した。主の指を離れた護符は風もないのにひらひらと漂い、酔客二人の身体の下に滑り込む。ふわり、と男達の身体が浮き、布団の中に運ばれていく。すべて屋敷の主、兼続の仕業だ。
二人の様子を代わる代わる覗き、幸村の枕元に座る事にする。夜中に目を覚ましたら、水を飲ませて厠につれて行くつもりだ。
― 幸村、騙してすまない。あの二人は夫婦ではない。祝言をあげる事は、できぬ二人なのだ… ―
兼続は心の中で幸村に語りかける。
― 女の’正体‘を知ったら、お前は怒るだろうか。それとも…? ―
あの後’女房‘は’亭主‘にこっぴどく怒られた。絶対に真田の次男に正体を明かすな、明かしたら別れるとまで言われ、喧嘩になった。私の無二の友を何故そこまで嫌うのだ、お前は何もわかっていない、わからないのはお前の方だ、黙って行かせて、あの子が風邪をひいたらどうする!……言い合いのあげく’亭主‘を泣きながらひっぱたき、’女房‘は京の屋敷に帰ったのだ。それから二人は会っていない。
― 景勝様の供をして聚楽第に行けば、徳川殿について来ているはずだ、謝ろう… ―
何もわかっていないのは、たしかに自分の方だった。恋しい男があれほど幸村を厭う理由に、今日まで気づかなかったのだから。
’女房‘は胸の中で’亭主‘と’お武家‘様の両方に詫びた。
終