半蔵×兼続

後編D

















 「抱いてくれ、だと?」

「……ああ」

半蔵は驚いたようだ。兼続と半蔵の二人は、薄暗い山小屋の中で向き合っていた。兼続は言った次の瞬時に後悔していた。それとなく好意を伝えようとしたのに、口から出てきたのは見も蓋もない言葉。色事に慣れぬ故の、兼続らしくない失敗だった。

半蔵に告白しようと決意した兼続は、越後城下に潜んでいる伊賀者の住み処を、術を使って探し当てた。内密に半蔵に届けてくれるなら今回は不問に処すと言いくるめて、兼続の屋敷近くの街道から外れた、小さな山で会いたいと書いた文を預けた。件のほこらがある山とは別の山だ。兼続は、一人になりたい時にこの山を散策したりする。上杉家中の直江兼続として徳川家中の服部半蔵に書状を送る事もできたが、そんな事をすれば半蔵の主の耳に入るだろう。それは嫌だった。返事も聞かず一方的に呼び出したにもかかわらず、半蔵は来てくれた。

「それが交換条件か?」

「え?」

半蔵の反応も、また、兼続の予想外だった。

「俺の口に蓋をしたいんだろう?」

「……違う」

半蔵は、兼続の秘密を口外しない約束を取りつける事が呼び出しの目的だと思っているようだ。あんな話の切り出し方をしたせいだろうか?兼続は反省した。しかし、自分が身を任せる事が取り引きの条件になりうるなら、半蔵は、少しは自分を女として望んでくれているのだ。そう思って、兼続はほっとした。

「なら、何故だ」

兼続は緊張のあまり目眩がした。

「わ、私は、あの日から、お前の事が…忘れられなくなった…」

たったこれだけの言葉を口にするのに、勇気がいった。

「………俺に惚れた、と言うのか?」

確かめるように、半蔵が問う。’惚れた‘という言葉が気恥ずかしく、兼続は赤い顔でうなずいた。

その兼続の赤い顔が、見る間に青ざめる。半蔵は急に兼続に背を向け、去ろうとした。

「待て!行かないでくれ!行かないで…お願い…」

兼続は必死で半蔵の背にすがり、引き止めた。

「……お前は、初めての男にのぼせあがっているだけだ」

背にすがる兼続を払いのけはしない、だが、半蔵の声は冷たかった。

「わかっている…そんな事!でも、わかっていても、気持ちが抑えられぬのだ!お前に会いたくてたまらなかった」

自分が話すのを止めてしまえば、半蔵は出て行くに違いない。兼続は精一杯言葉を紡いだ。

「今まで戦場でお前を何度も挑発しておいて、むしのよい話だと承知で言う。…お前が好きだ。好きになってしまった…」

背を向けたまま、半蔵はすがる兼続の手をゆっくりと引き離す。乱暴に振り払おうとするなら、兼続も抵抗のしようがあるが、そっと指を握られては逆らえない。兼続は唇を噛んだ。だが、半蔵は去らなかった。兼続に向き直り、自らの覆面を脱いだ。半蔵が唇の端を吊り上げて笑って見せる。兼続はうろたえた。恥ずかしくて見ていられない。だが、半蔵の端正な顔を見つめていたい。相反する欲求に兼続は混乱する。

「そんなにして欲しいなら、抱いてやる」

際どい事を言う時も、実際にする時も、半蔵の瞳は凪いだ海のように静かだ。半蔵の手はいつの間にか兼続の腰に回り、半蔵の胸の中に兼続は抱き寄せられる。もう片方の手は兼続の手指を握った。二人は異人の男女が踊る時のような格好になった。

「抱いてやるから、代わりに俺の頼みをきいてくれ」

「…な…に…?」

半蔵は兼続の頬にかかる髪をそっとかきわけ、包み込むように兼続の頬を撫でる。兼続はうっとりと愛撫を享受した。兼続は、ずっと半蔵に触れて欲しくてたまらなかったのだ。だが、幸せな時間は愛しい男の一言により、霧散した。

「俺が春日山城に忍び込む手引きをしてくれ」

夢見心地だった兼続の顔が凍りつく。

「直峰城、松代城、犬伏城の見取り図も欲しい」

それらは、関東から越後の中心である春日山城に至るまでの地域に建つ、支城だ。その見取り図を欲する意図は明白だ。

「…………できるわけが、ない」

「何故だ。俺に惚れているんだろう?協力してくれるなら、お前の情夫になってやる」

「できるわけがないっ!!」

兼続は優しかった男の豹変に恐怖した。

「なら、この話は無しだ」

半蔵はぴしゃりと言った。

「なんだ、俺に惚れたというからどれほどのものかと思えば…」

今度こそ、半蔵は乱暴に兼続の身体を突き放した。どん、と肩を押され、踏ん張る気力もなく、兼続は尻餅をついた。

「使えぬ女め」

兼続に背を向け、肩越しに吐き捨てるように言い、半蔵は山小屋を出て行った。一人残された兼続は、いつまでも震えていた。


兼続は山小屋の外に出て、見晴らしのよい場所に座り、呆けたように春山の景色を眺めている。慕う男との再会はあまりにも短く、無惨な結果を迎えた。兼続の心は嵐の直中のように乱れた。成り行きとはいえ純潔を捧げ、初めての恋を告白した兼続を半蔵は利用しようとした。彼を憎みたかった。だが、全く上手くいかない。

兼続は泣いた。怒りより、冷たく拒絶された悲しみが勝った。流した涙が乾いて塩となり、着物にこびりつく頃になっても、どうしても半蔵の優しさを忘れられない。そうだ、半蔵は優しかった。兼続は自分が半蔵の姿にだけ心を奪われたのではないと気づき、嬉しくなった。

「だめだ……やっぱり好きだ…頭が堅いな、我ながら」

暖かい春風があたる。柔らかく頬を撫でた男を思いだし、兼続は乾きかけた頬をまた新しい涙で濡らした。



とぼとぼ、ふらふら、危なっかしい足どりで兼続は山道を歩いている。泣きながら景色を眺めて半日過ごした兼続が正気に戻ったのは、空の色が茜色から闇の色に変わる寸前だった。急いで下山すれば日が暮れるのに間に合うつもりだったが、山道の途中で夜になってしまった。兼続は灯りを持っていないが、もういくらも行かぬ内に街道に出られる見当がついていた。その油断と、泣き疲れた身体が、兼続の足を滑らせた。踏み越えたつもりの石に足をとられ、兼続は大きく前のめりによろけた。暗い為、兼続には見えていなかったが、目の前はきつい坂道で、転べば転倒というより、落下する。

― 落ちる!? ―

宙に放り出された感触があり、兼続は自分の失態を覚ったが、衝撃は一向に襲ってこない。闇夜の中で、兼続の身体は何者かにしっかりと抱き止められていた。兼続は、信じられない思いで息を詰めた。言葉は無くとも、その腕の感触を間違えはしない。兼続を抱き締めたまま、影は安全な場所まで後ずさった。互いに一言も発さない。

ー 何故助けた? ー

兼続は聞けずにいた。半蔵に救われた喜びと、またの拒絶を恐れる気持ちが混ざり、兼続の身体の自由を奪う。

その時兼続の耳に、半蔵が吐く深い息が聴こえた。それは、心から兼続の身を案じ、隠しようのない安堵に満ちていた。

「…っ…!」

兼続は自分が一番知りたかった事の答えを得た。半蔵の背に、震える腕を回す。半蔵は、更に強く抱き返してきた。



背を向ける男の背中に女が身を寄せる。二人とも一糸もまとわぬ姿だ。しなやかな筋肉で形作られる背中に、女が頬擦りする。男が、ぴくりと身じろぎした。

「さあ、いい加減に白状しろ。いつでもだんまりを許すわけではないぞ」

兼続が半蔵に促す。たった今、二人は初めての逢瀬を終えた。やむにやまれぬ事情などない。二人はただ相手を求めて肌を重ねたのだ。

闇夜の山道で足を滑らせた兼続を救った後、ほとんど降りかけた山道を、半蔵は兼続を背負って山頂の山小屋へ飛ぶように引き返した。道中、半蔵はひどく思い詰めた様子で、兼続は心配したが、小屋に備えてあった薪で囲炉裏に火を入れる間に多少落ち着いたようだ。半蔵は兼続の着物の胸元を開き、乳房にむしゃぶりつく。男の執着に、兼続は乱れた。

「そろそろ教えてくれ。何故、内通をそそのかすような事を言ったのだ」

「…………」

今や、半蔵と兼続の力関係は逆転していた。半蔵は言葉にせずとも、行動で兼続への想いを明かしてしまった。そうなると、無口な男が口達者な女に抗う術はない。


「しらばくれても無駄だぞ。お前の本意ではあるまい」

「……何故、そう言い切れる」

「本当に私を裏切らせたいなら、もっと時間をかけて手懐けるはずだ。最初は簡単な事から聞き出す。寝物語のついでに、まずは私自身の事や、春日山城内の日常の出来事など喋らせるのが定石だろう」

「………」

「いきなり寝返りにも等しい裏切りを要求するなど、突っぱねてくれと言っているようなものだ……私に、お前を諦めさせるのが目的だったのか…?」

兼続の声が、少し沈んだ。

「…わかっていたなら、いつまでも泣いてないでさっさと山を降りろ」

「……………」

「どうした」

「…私が半日泣き明かしたのを知っているのか。さては!山小屋を出た後、どこかに潜んで私を見ていたな?」

「……………」

半蔵は苦虫を噛んだような表情をした。知られたくなかったのか、と兼続は追及を緩めた。

「お前がさっき助けてくれたから、昼間の事が狂言だと気づけた。見ていたなら私の落ち込みようは知っていよう…」

「……ああ」

兼続は柔い乳房を半蔵の背に押し付け、後ろから抱きついた。男の張りつめた気配が、少し和らぐ。半蔵も男の一人らしく、乳房が好きらしいと兼続は早くも見抜いていた。

「……俺は、お前が秘密を知った俺を始末する為におびき寄せたのだと思っていた。それでも来たのは、何故だと思う?」

「私の秘密を逆手に取り、何か取引を持ちかけようと…」

苛々した様子で、半蔵がふーっ、と息を吐く。

「鈍い」

「!?」

兼続は、聡いと言われた事は数あれど、その逆を言われたのは初めてだった。

「お前に会いたかったからに決まっているだろう」

「……」

兼続は首まで赤くなる。

「お前に気持ちを打ち明けられた時、俺は焦った。お前に甘えられたら、嫌とは言えない自分に気づいた。お前の為なら、内通をもしでかしてしまうかもしれないと…怖くなった」

「半蔵…」

「お前に嫌われ、関係を壊してしまえば、お前を諦められると思った」

半蔵は長く喋ったのに疲れたか、ひとつ息をついた。その姿がなんだか景勝様に似ている、と兼続はぼんやり思った。

「だが、泣いているお前を置いて山を降りられなかった。お前が屋敷に無事着くのを見て越後を出るつもりだったが…お前が足を滑らせたのを見て飛び出してしまった。あの程度の事で、堪え性のない……」

半蔵は最初から自分を好いてくれていたのだ。嬉しさに、兼続の目元はまた潤んできた。自分はすっかり泣き上戸になってしまった、と兼続は自嘲した。

「兼続」

半蔵が兼続と向かい合う。

「すまなかった…俺は、卑怯だった」

半蔵は兼続に深く頭を下げた。

「……よし、許そう!許してやるから…はっきり気持ちを言葉にするのだ」

兼続は涙声で明るく命じた。

半蔵はすぐに察した。さすがに聡い。兼続を抱きしめ、目を真っ直ぐ見詰める。

「兼続…お前が好きだ」

「ああ…半蔵、私もお前が好きだ」

喜びが雫となって、兼続の頬を流れ落ちた。


「兼続、俺はお前の為に徳川を売る事はしない」

「ああ…私も、お前の為に上杉を裏切る真似はしない」

「だから、お前に会う時は徳川の影ではなく、一人の男として惚れた女に会いにくる。……それで、いいか?」

「ああ…それでいい…充分だ…」

二人はもう一度、ひしと抱き合った。明日の朝には離ればなれになる。それまではずっとこうしていたかった。

「……………」

兼続が半蔵の耳に何事かささやく。

「…?」

「私が生まれた時、父母からもらった名だ。思い出せぬから、思いきって母にたずねてきた」

「そうか…」

「その名で呼んで…」

短い逢瀬を惜しむように、再び恋人を押し倒しながら、半蔵は愛しい女の名を呼んだ。


             完










お友達のかっこさんからの頂き物半蔵×兼続でした!!本当に素敵な作品をありがとうございますっ!!!と何度言ってもいいたりぬん……
作品に水を差す事にならないかドキドキなんですけれどもかっこさんからおkを頂いたので半♀兼イラストを描かせていただきました!